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山内積良 : ウィキペディア日本語版
山内積良[やまうち せきりょう]

山内 積良(やまうち せきりょう、本名は同じ、旧姓:金田1883年 - 1949年)は、日本の実業家、山内房治郎商店2代店主。元任天堂取締役社長の山内溥は孫にあたる。
== 来歴 ==
京都府京都市に「任天堂骨牌」(山内房治郎商店)を創業し花札の製造販売を始めた山内房治郎は、男児に恵まれず娘の婿養子として金田積良を養子に迎え入れた。
金田改め山内積良は1929年に山内房治郎商店2代店主に就任。房治郎から家督を相続し、花札製造業をいっそう発展させた。
1933年には合名会社山内任天堂を設立。手狭になった本社を移転し、同時に生産機構の合理化、経営効率の改善をおこなった。かつての山内任天堂本社社屋は任天堂正面営業所となっている。
1947年には、販売子会社「株式会社丸福」を設立、同時にかるたトランプの自主流通を始める。株式会社丸福は「株式会社丸福かるた販売」「任天堂かるた株式会社」「任天堂骨牌株式会社」を経て1963年に任天堂株式会社となっている。任天堂製花札のパッケージに丸福の印が使用されている。
積良も房治郎同様、家督を相続すべき男児に恵まれず(旧民法では家督相続者は「長男」でなければいけなかった)、長女の婿養子に工芸家出身の稲葉鹿之丞を迎え入れ、二人の間に念願の長男・博(山内溥)が生まれる。しかし、鹿之丞が突如出奔してしまい、わずか22歳の博が後に家督を継ぐことになる。
1949年、家督をわずか22歳の博に託し病でこの世を去る。66歳没。その直前、博の「任天堂で働く山内家の者は自分以外に必要ない」と言う条件を呑み、会社にいた山内家の従兄弟達を会社から退けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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