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山内継喜 : ウィキペディア日本語版
山内継喜[やまうち つぐよし]

山内 継喜(やまうち つぐよし〔『新編日本の歴代知事』201頁。〕、1897年明治30年)1月〔『人事興信録』第14版 下、ヤ51頁。〕 - 1973年昭和48年)12月26日〔『広報かつやま』№212、1頁。〕)は、日本の内務警察官僚政治家。官選山形県知事陸軍司政長官、初代勝山市長
==経歴==
福井県大野郡荒土村(現:勝山市荒土町境)〔で、山内喜一郎の長男として生まれる〔。第四高等学校を卒業〔。1920年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1921年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し青森県属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』229頁。〕。
1923年警視庁警視となる。以後、板橋警察署長、大塚警察署長、本富士警察署長、警視庁監察官、台湾総督府事務官、青森県書記官警察部長、岐阜県書記官・警察部長、山口県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、愛知県書記官・総務部長などを歴任〔〔。
1940年8月24日、山形県知事に就任。戦時体制の整備に尽力〔。1942年7月7日、陸軍司政長官に発令され〔『官報』第4647号、昭和17年7月8日。〕、同年8月15日、第16軍軍政監部付・ジョグジャカルタ侯地事務局長官に就任〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』140頁。〕。1944年12月29日、スマラン州知事に転任し、1945年10月13日まで在任した〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』139頁。〕。
戦後公職追放となる〔。1954年9月に勝山市が発足し、同年10月15日初代市長に就任。1958年10月に再選され市長を二期務めた。1956年、勝山市が財政再建団体の指定を受け、財政の健全化に尽力。雁が原スキー場の開設など観光資源の開発を進めた。その他、勝山市立北部中学校の開校、消防本部・消防署の設置、伊勢湾台風第2室戸台風被害の復旧などに取り組んだ。1962年10月14日、任期満了で市長を退任〔『日本の歴代市長』第2巻、231頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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