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山内豊明 : ウィキペディア日本語版
山内豊明[やまうち とよあきら]

山内 豊明(やまうち とよあきら)は、土佐中村藩の(再興後の)第3代(最後)の藩主。
== 経歴 ==
寛永19年(1642年)、初代藩主山内忠直の次男として生まれる。兄豊定より3000石を分与される。延宝5年(1677年)、豊定が早世し、その嫡子豊次も幼少だったため、豊明が養子として跡を継いだ〔ただし、豊次の後見となり、家督を継いだのは貞享元年(1684年)のこととも言われている。〕。第5代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて元禄2年(1689年)4月14日に奥詰衆となり、同年5月3日には若年寄に任じられるという異例の栄進を遂げている。ところが5月10日、豊明は病気により放心状態で目も見えず、耳も聞こえないとして若年寄辞職を綱吉に求めた。これが不敬として綱吉の怒りに触れ、5月12日に江戸屋敷を召し上げられて謹慎を命じられる。
8月3日に謹慎は許されたが、代償として3万石の所領のうち2万7000石を没収され、残り3000石の寄合旗本としての存続を許された〔6月12日に豊次が夭折したので、没収されたとも(高知市広報「あかるいまち」1999年7月号・高知市歴史散歩・広谷喜十郎著)〕。ところが、大名から寄合への格下げに応じようとしなかったため、またも綱吉の怒りに触れて改易され、身柄は浜松藩青山氏に預けられた。
元禄5年(1692年)6月2日に赦免され、土佐藩内の小高坂に居住した。元禄17年(1704年)1月17日死去した。享年63。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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