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山内豊雍[やまうち とよちか]
山内 豊雍(やまうち とよちか)は、土佐藩の第9代藩主。 == 生涯 == 寛延3年(1750年)1月6日、第8代藩主・山内豊敷の四男として生まれる。明和4年(1767年)に父が死去したため、1768年に家督を継いで藩主となる。藩政においては文武を奨励するなどした。また、天明の大飢饉による被害で藩財政が困窮したため、藩士の知行借上などを行なっているが、効果は無かった。このため、天明7年(1787年)に吾川郡池川・名野川の百姓が伊予に逃散する。 このため、豊雍は谷真潮、尾池春水、久徳直利などの人材を用いて藩政改革に乗り出す。まず、土佐藩20万石の格式を10万石に切り下げて節約を行ない、問屋制を廃止して五人組の強化などを行なった。これら一連の改革を天明の改革といい、藩財政はいくらか再建されたという。 寛政元年(1789年)8月24日に死去。享年40。跡を長男・豊策が継いだ。 藩政改革を成功させたことから名君と呼ばれている。また、温厚賢明な性格だったといわれている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山内豊雍」の詳細全文を読む
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