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山口仙二 : ウィキペディア日本語版
山口仙二[やまぐち せんじ]
山口 仙二(やまぐち せんじ、1930年10月3日 - 2013年7月6日)は、長崎原爆被爆者、日本の反核平和運動家。
== 経歴 ==

=== 被爆者として ===
1930年、長崎市に生まれる。1945年8月9日長崎県立長崎工業学校1年時の14歳の時に、学徒動員で通っていた三菱長崎兵器製作所大橋工場裏(長崎原爆の爆心地から1.4kmの地点)で、防空壕を掘る作業中に被爆、顔と全身に大火傷を負った〔被爆後の写真(No more NAGASAKI's HomePage) 〕。大村海軍病院に搬送され、1946年3月9日に退院した〔被爆から治療までの一連の体験は長崎平和宣言 被爆者の語り 長崎放送 被爆者の証言 に詳しい〕。
退院後も顔から胸に残ったケロイド痕〔厳密には肥厚性瘢痕か。ケロイド#原子爆弾被爆によるものを参照〕に悩まされた〔被爆から50年以上を経ても、自分の顔にコンプレックスを抱いていた〕。1951年に同校機械科を卒業したが、就職時には学徒動員先だった三菱造船〔現在の三菱重工業〕をはじめ多くの企業で体格検査に不合格となった。そのため五島の父親のもとで駄菓子屋と農業をして生活した。1953年には土地を売って長崎市に戻り、1957年まで饅頭屋を営んでいた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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