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山口佐喜男 : ウィキペディア日本語版
山口佐喜雄[やまぐち さきお]

山口 佐喜雄(やまぐち さきお、1902年2月13日 - 1945年ころ〔『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1980年、p.604.〕)は、日本俳優である〔Sakio Yamaguchi , Internet Movie Database , 2010年7月19日閲覧。〕〔山口佐喜男 / 山口佐喜雄、日本映画データベース、2010年7月19日閲覧。〕。山口 佐喜男ともクレジットされた〔。伊藤大輔稲垣浩山中貞雄滝沢英輔らの作品の脇役俳優である〔。
== 人物・来歴 ==
1902年(明治35年)2月13日京都府京都市に生まれる〔。大阪市の今宮尋常小学校(現在の大阪市立今宮小学校)を卒業する〔。
1926年(大正15年)、日活大将軍撮影所に入社、大部屋俳優となる〔。1927年(昭和2年)12月、同撮影所の時代劇部が新設の日活太秦撮影所(のちの大映京都撮影所)に移転、翌1928年(昭和3年)5月31日に公開された、高橋寿康監督の『享保借春賦』で役がつき、クレジットされた〔。1934年(昭和9年)には同撮影所が日活京都撮影所と改称、引き続き所属した〔。
1937年(昭和12年)、大河内傳次郎らとともにゼー・オースタヂオ(のちの東宝映画京都撮影所)に移籍、同年8月11日公開された直木三十五原作、並木鏡太郎監督の『南国太平記』に出演する〔。同年9月10日、同社が他の3社との合併により東宝映画を設立した〔東京地判 平成20(ワ)6849 損害賠償請求事件 著作権 民事訴訟 最高裁判所、2010年7月20日閲覧。〕以降は、ひきつづき東宝映画に所属し、同社東京撮影所(現在の東宝スタジオ)作品にも出演した〔。
1943年(昭和18年)1月3日に公開された長谷川一夫主演の『伊那の勘太郎』に出演しているが、同作以降の活動記録は不明である〔。正確な没年月日は不明であるが、1945年(昭和20年)までの太平洋戦争の戦時中に病気により、死去した〔。満年齢40代前半の没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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