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山口喜一 : ウィキペディア日本語版
山口喜一[やまぐち きいち]
山口 喜一(やまぐち きいち、1881年明治14年)11月22日 - 1969年昭和44年)5月22日)は、日本のジャーナリスト

==生涯==
1881年(明治14年)11月、福島県大沼郡旭村(現 会津美里町)に原与三郎の次男として生まれる。東京政治学校を卒業後、福島県に帰郷し山口家の婿養子となる。
1903年(明治36年)に長野県松本町の戊戌商業学校の教師を務める傍ら、信濃実業新報主筆として記事を執筆する。以後、会津日日新聞主筆、東京毎日新聞社嘱託社員、北海旭新聞主筆を歴任する。
1907年(明治40年)に北海タイムス編集長に就任し、1929年昭和4年)には北海タイムス社(現 北海道新聞社)取締役支配人に昇進する。1942年(昭和17年)に北海タイムス社を退社し、日本海事新聞社社長に就任する。
第二次世界大戦終戦後の1946年(昭和21年)、新北海新聞社を設立したが、翌年公職追放を受けた。追放解除後の1953年(昭和28年)、北海道経済新聞社を設立するが、北海道経済新聞は約半年で休刊となった。
1959年(昭和34年)、北海道文化賞を受賞する。
ジャーナリストとして以外の活動としては、1929年(昭和4年)に長男の寿一が胃で死んだことをきっかけに、癌治療を研究する学者に資金援助を行い、北海道対がん協会を設立した。この功績により、1968年(昭和43年)、日本対がん協会から、ガン対策事業功労者として表彰される。
業務の傍ら、ロシア語居合刀剣鑑定、囲碁(二段)、飛行機の操縦、短歌などを学ぶなど多趣味な人物であった。
この内、武道については、十代の頃より制剛心照流の柔術手裏剣術・縄術を修行し、柔術は免許皆伝の腕前であったほか、三十代より平岡風雲より長谷川流居合を、結城平五郎より宝蔵院流槍術と范会流居合を、吉井政恒より北辰一刀流居合を学び、この他、塩田流居合も学んだという。会津会会員〔『会津会雑誌第51号』(昭和12年12月発行)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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