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山口 小夜子(やまぐち さよこ、1949年9月19日 - 2007年8月14日〔 山口小夜子さん通夜に1000人献花 東京中日スポーツ 2007年9月20日〕)は、日本のファッションモデル、ファッションデザイナー。杉野ドレスメーカー女学院卒業。パリコレクションに出演するなど世界的に活躍し、日本人女性モデルの草分け的存在になった。 == 経歴 == 京浜女子大学横浜高等学校〔山口小夜子展 横浜創英中学校・高等学校 校長ブログ〕~杉野学園ドレスメーカー女学院卒業後〔、1971年にプロのモデルとしてデビューし〔、高田賢三や山本寛斎のショーで注目を集める〔。1972年、パリコレクションにアジア系モデルとして初めて起用され、次いでニューヨークコレクションにも出演した。おかっぱ頭に切れ長の目で日本人ブームを起こした〔。特にヨーロッパで人気が沸騰し、「SAYOKO マネキン」というマネキン人形が発売されたほどだったという。現在でもアナスイニューヨーク店で使用されている。 1973年、資生堂の専属モデルとなり、同社のCMに出演。その後も長くモデルとして活動しながら、ファッションデザインや服飾品のプロデュースも幾度となく担当。1977年には、雑誌『ニューズウィーク』の「世界のトップモデル6人」にアジア人で初めて選ばれた〔〔。 晩年はダンスとファッションの融合をめざしたパフォーマンスに力をいれていたという。 2007年8月14日に急性肺炎のため死去していたことが、同年8月20日付の各社報道によって明らかになった。葬儀は親族だけで執り行われ、9月19日にお別れの会が開かれた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山口小夜子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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