|
山口 賢一(やまぐち けんいち、1980年6月10日 - )は、日本のプロボクサー。大阪府大阪市出身。大阪天神ジム選手兼会長。 元WBOアジア太平洋スーパーバンタム級暫定王者。日本人初のWBO世界タイトル戦挑戦者。大阪帝拳ボクシングジム所属選手としてプロデビュー。2009年5月にJBCのプロボクサーライセンスを返上して日本国外へ活動の拠点を求め、以降は※オーストラリア※フィリピン※メキシコなど海外を主戦場としている。大阪市立旭陽中学校、日生学園第二高等学校(現在は、青山高等学校)卒業〔。オーストラリアでの初陣で名づけられた愛称は "Machine Gun"。 大阪市北区に開設した自身が会長を務める大阪天神ジムは高山勝成の練習拠点であった。高山のIBF世界ミニマム級王座獲得の陰に山口の協力がある。2013年7月12日付でJBCからライセンスの再交付を受けた高山の所属先が仲里義竜ボクシングジムなのは大阪天神ジムがJBC非加盟のボクシングジムだからだと思われる。 == 来歴 == 幼少時は空手道を習い、中学校からは野球部で活躍し〔大阪ヒト元気録/戦い抜いて11連勝 強いボクサーと試合がしたい 大阪日日新聞 2009年3月4日閲覧〕、高校2年生の時にはエースを務めて三重県4強入りを果たした〔。 高校卒業後、大阪帝拳ジムに入門し、2001年、プロテストに合格〔。2002年4月28日、アゼリア大正で行われたスーパーフライ級契約でのプロデビュー戦は4R判定引分となった。その後バンタム級からフェザー級相当の契約で4連勝を収め、2003年7月13日の西日本スーパーバンタム級新人王トーナメント予選2戦目で2RKO負けを喫したが、この後はいずれもバンタム級からスーパーバンタム級相当で戦い、再起戦に6R判定で引き分けた後は右拳を傷めるアクシデントもあったものの2008年12月14日までに11連勝を上げた〔京橋ボクサー・山口賢一判定勝ち-勝利の裏にある思い 京橋経済新聞 2008年12月20日閲覧〕。 2009年5月には日本バンタム級7位・OPBF東洋太平洋同級7位にランクされていたが(いずれも4月度)、日本王座挑戦の機会を待ちかねて日本未公認団体であるWBOの地域王座への挑戦を選択した。定年前の健康な選手でありながら任意引退を決意し、同年5月下旬にJBCへ引退届を提出した〔。その後、同年齢・同階級の長谷川穂積が所属する真正ボクシングジムの山下正人会長の支援を受け、1か月間真正ジムの寮で生活した。かねて山下からアドバイスを受けていたこともあり、長谷川の合宿にも度々同行した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山口賢一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|