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山吉長久[やまよし ながひさ]
山吉 長久(やまよし ながひさ)は鎌倉時代後期から南北朝時代の武士。後世史料にのみ三条城主として登場する。 == 生涯 == 『山吉家家譜』〔江戸時代に成立した山吉氏の系譜の一つ。しかし、山吉豊守以前の山吉家の系譜はいずれも信用できないとする学説も存在する。参照『三条市史 上巻』134-136頁。〕では山吉定明(池成明)の子で、池清久の外孫とされる。 『北越雑記』には、三条城主池伊豆守長久は元亨元年(1321年)家督、足利尊氏に味方して、義兄弟の長尾景為、長尾景恒らとともに、南朝方の村山一族と戦ったと記されている〔大日本史料6編16冊709頁〕が、同時代史料では長久の名は確認できない〔同時代史料では、新田義貞の討幕軍に池一族と思われる池七郎成清が参陣しており(「大河戸隆行軍注状」『鎌倉遺文』32647号)、『太平記』にも大井田式部大輔らとともに尊氏軍と戦った新田勢のなかに池氏の名が認められる。その後の南北朝の対立にも、池氏は小国氏・河内氏・風間氏らとともに南朝方として、色部氏や加地氏などと戦っている(『新潟県史資料編』1515、1935号)が、観応の擾乱期には北朝方となり、村山信義や風間氏らと戦っている(『新潟県史資料編』1719号)。〕。 江戸時代後期に成立したとされる「法華宗総本山本成寺縁起」や山吉系譜によれば、父・定明が建立した青蓮華寺(長久山本成寺、新潟県三条市にある法華宗陣門流総本山)に寺領を寄進したという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山吉長久」の詳細全文を読む
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