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山名元豊 : ウィキペディア日本語版
山名豊国[やまな とよくに]

山名 豊国(やまな とよくに)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名武将
== 生涯 ==

=== 戦国大名 ===
天文17年(1548年)、但馬国の大名で但馬山名家山名豊定の次男として生まれる。初名は元豊(もととよ)。生母は室町幕府管領細川高国の娘。正室は伯父(豊定の兄)である山名祐豊の娘。
永禄3年(1560年)に父・豊定が死去。その跡を継ぐため派遣された棟豊(むねとよ、祐豊の子)も永禄4年(1561年)に早世し、次いで兄・豊数が因幡山名家(通称、布施屋形・布施殿)の家督を継承すると、支城であった因幡岩井城の城主となるが、のちに敵対した兄・豊数やその家老の武田高信によって城を追われて隣国の但馬国八束まで逃れた。
兄・豊数の死後、山中幸盛尼子氏残党軍の支援を得て因幡山名家の家督を継承するが、天正元年(1573年)、毛利氏の武将・吉川元春に攻められて降伏して毛利氏の軍門に下った。毛利氏の当主・毛利輝元(元春の甥)より偏諱を受けて元豊(もととよ)と名乗るが、のちに織田氏と誼を通じて豊国に改名する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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