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山 善左衛門 (やま ぜんざえもん、生年不明 - 寛永15年2月28日(1638年4月12日))は、江戸時代初期の人物。島原の乱の首謀者のひとり。キリシタン。 == 概要 == 小西行長に仕え、関ヶ原の戦い以後は浪人となり、有馬氏・松倉氏の所領島原に住んだ。 天草五人衆のひとりとして島原の乱を首謀し、原城籠城戦の際は、浮武者頭として大矢野松右衛門とともに遊軍2000人を率い〔『耶蘇天誅記』『寛永平塞録』『嶋原軍秘録』(板倉藩記録)等多数の史料にそのように記されている。〕、原城二ノ丸を守備した。 最期は不明だが、原城落城時に戦死したと思われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山善左衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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