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山岸紀郎[やまぎし のりお] 山岸 紀郎(やまぎし のりお、1943年2月11日 - 2011年7月15日)は、日本の元バレーボール審判員、日本バレーボール協会専務理事、初代Vリーグ機構代表理事(会長)。 == 人物 == 日本体育大学出身。日本人として初めて国際バレーボール連盟のFIVB公認レフリーとなり、1986年の世界選手権の男子決勝の主審を務めたほか、1988年と1992年のオリンピックでも国際審判団の一員として参加した。 一方日本国内では、1995年4月より日本バレーボール協会の理事、専務理事や日本バレーボールリーグ機構の代表理事(会長)などを歴任した。また日本におけるビーチバレー生みの親とも言われ〔『ビーチバレースタイル』 2011年7月 vol.1 48ページ〕、1996年のアトランタオリンピックではビーチバレー日本男子代表監督を務めた〔毎日新聞 2011年7月16日朝刊14版 20面〕。 また、立教新座高等学校教諭としてバレーボールの指導も行っていた。その為、立教大学体育会バレーボール部OB会の特別会員でもあった〔訃報:山岸紀郎 Facebook - 立教大学体育会を応援します〕。 2011年7月15日、胆管がんのために死去〔山岸紀郎・元日本バレーボール協会専務理事が死去 日本経済新聞 2011年7月16日閲覧〕。。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山岸紀郎」の詳細全文を読む
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