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山崎 五紀(やまざき いつき、1966年1月3日-)は、日本の元女子プロレスラー。身長165cm、体重62kg。 == 経歴 == 兵庫県飾磨郡家島町(現在の兵庫県姫路市)出身〔姫路での一期一会の出会い……そして再会! ジャガー横田ブログ 2011年9月10日付参照〕。中学を卒業した1981年に全日本女子プロレスに入門、同年デビュー。同年引退したマミ熊野は家島の先輩でもある。若手時代にはデビル雅美率いる「ブラック・デビル(デビル軍団)」の構成員として、凶器使用も辞さぬヒールファイトを展開していた。 1984年のデビル軍団の解散後は抜群のルックス、アイドル顔負けのプロポーションから男性ファンも非常に多く、ベビーフェイスに転向し、同期の女子プロレス界の聖子ちゃん(松田聖子)立野記代とのタッグチーム「JBエンジェルス(Jumping Bomb Angels)」を組み、クラッシュギャルズブームの二番手的役割を担いつつ、極悪同盟との抗争を展開するも負け試合が多くファンははなれつつあった。JBエンジェルスはWWF(現WWE)にも参戦し、メーンも務めた。 一時期引退するも、ジャパン女子プロレスに移籍して復帰、数々の名試合をしてきたが、最後に、力に勝る神取忍に関節技によりギブアップで敗れ引退する。WCWへも参戦した。 結婚を期に1991年12月22日をもって引退。現在はアメリカのニューヨーク在住。夫婦で日本食レストランを経営している。一方で愛弟子の豊田真奈美を始めとする日本の女子レスラーがアメリカ遠征する際の手助けもしている。 自伝『五紀伝―女子プロレスラーとして生きた私』(敷村良子=取材・構成・文世織書房)を2006年4月に上梓した。 2008年夏に4興行限定で現役復帰、JBエンジェルスも復活させた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山崎五紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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