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山崎友造
山崎 友造(やまざき ともぞう、1873年(明治6年)7月 - 1926年 (大正15年)9月27日〔『日本陸軍将官辞典』758頁。〕)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 == 経歴 == 1873年(明治6年)、旧紀州藩士・山崎亀蔵の次男として和歌山県に生まれる。15 歳で旧藩から抜擢され上京、陸軍幼年学校に入学した。1894年(明治27年)7月27日〔『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』111頁。〕、陸軍士官学校(5期)を卒業。同年9月18日〔、砲兵少尉に任官。大阪砲兵工廠勤務の折、栗山勝三少佐の次女・幸子と結婚。1903年(明治 36 年)、砲兵大尉としてドイツに留学。1908年(明治41年)帰国して、東京砲兵工廠製造所長〔『官報』第7470号、明治41年5月23日。〕。1916年(大正5 年) 4月1日、火工廠宇治火薬製造所長〔『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』118頁。〕。1919年(大正 8 年)、前所長西郷寅太郎の死去を受けて、同年1月15日、習志野俘虜収容所長に就任、ドイツ捕虜の本国送還に尽力する。同年11月25日、砲兵大佐から陸軍少将に昇進〔『官報』第2194号、大正8年11月26日。〕。大正9年4月1日の収容所閉鎖と共に待命。同年7月16日〔、予備役編入となる。
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