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山崎 片家(やまざき かたいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。官位は志摩守。諱は初め賢家、のち片家。別名に堅家(読み同じ)、秀家(ひでいえ)とも。父は山崎宗家(むねいえ)。子に家盛・宮城頼久ら。 == 生涯 == === 六角家臣時代 === 六角義賢より偏諱を賜い山崎賢家(読み同じ)と称する。義賢の子である六角義治に仕えていたが、義治と不和であったため、永禄6年(1563年)の観音寺騒動では六角氏と敵対。永禄11年(1568年)9月に織田信長が六角領内へ侵攻すると、六角家を見限りいち早く降り信長の家臣となった〔岡田正人『織田信長総合事典』P257〕。そのとき、片家と名を改める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山崎片家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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