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山崎弁栄 : ウィキペディア日本語版
山崎辨榮[やまざき べんねい]
山崎 弁栄 (やまざき べんねい、安政6年2月20日1859年3月24日) - 大正9年(1920年12月4日)は、日本浄土宗僧侶大正時代に浄土宗の社会運動である光明主義運動を行った。
== 略歴 ==
安政6年、下総国手賀沼鷲野谷(現、柏市)の熱心な浄土門徒の農家に生まれる。近所の真言宗寺院で仏画を習う傍ら、12歳の時、阿弥陀三尊を夕日の中に観想して出家を願い、明治12年(1879年)11月、東漸寺大谷大康に師事して出家した。
明治14年(1881年)に上京し、増上寺や駒込吉祥寺学林(現、駒澤大学)で研鑽を積み、明治15年(1882年)に筑波山中で念仏修行を行った。明治18年(1887年)に習志野に移住し、善光寺 (松戸市)建立・浄土宗本校(現、大正大学)設立の勧進を行った。明治27年(1894年)にはインド仏跡巡拝に出かけ、翌28年に帰国した。
その後、光明主義運動を始め、大正3年(1914年)には如来光明会(現、光明修養会)を設立した。
大正5年(1916年)には、総本山知恩院夏安居に講師に招かれ、大正7年(1918年)には時宗当麻派の本山、無量光寺 (相模原市)の61世法主に迎えられ、境内に人々の教育のために光明学園を創設した。
大正9年12月、各地を巡錫中、柏崎市極楽寺で還浄した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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