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山崎方代 : ウィキペディア日本語版
山崎方代[やまざき ほうだい]

山崎 方代(やまざき ほうだい、1914年大正3年)11月1日1985年昭和60年)8月19日)は、日本の歌人
== 略歴 ==

=== 出生から右左口村時代 ===

山梨県東八代郡右左口村(現・甲府市右左口町)に生まれる。父は龍吉、母は「ひさの」〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.60〕。方代は八人兄弟の末子で、次男〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.60〕。1920年(大正9年)5月には姉の「くま」が結婚し、姉は神奈川県横浜市へ移る〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.60〕。1921年(大正10年)4月、放大は右左口尋常高等小学校(現・甲府市立中道南小学校)へ入学する〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.60〕。卒業後は実家の桑畑山仕事を手伝う〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.7〕。
1929年(昭和4年)3月、方代は小学校を卒業する。右左口村では1927年(昭和2年)に田中睦男が中心となり歌会「地上」が発足し、方代は1932年(昭和7年)に最年少で入会する〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.7〕〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.60〕。1934年(昭和9年)には『山梨日日新聞』新年文芸において佳作に入選する〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.60〕。方代はこの頃、「山崎一輪」の筆名で右左口青年団雄弁部文芸部季刊誌『ふたば』や『山梨日日新聞』『峡中日報』などに投稿する〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.7〕。同年には徴兵検査において甲種合格するが、この頃には両親が眼病を患っていたため、兵役免除となる〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.60〕。
1935年(昭和10年)には田中達馬の紹介で「あしかび」に入会する〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.60〕。1936年(昭和11年)には「あしかび」をはじめ「水甕」や山下陸奥の主催する「一路」などの結社誌に詩や短歌を発表している〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.8〕〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.60〕。同年11月5日には三枝常盤邸で開催された一路山梨支部創立歌会に参加している〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.60〕。同年には右左口村青年団文芸部長となり、『ふたば』の編纂にも関わっている〔『山崎方代展 右左口はわが帰る村』、p.7〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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