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山崎諭 : ウィキペディア日本語版
山崎諭[やまざき さとる]

山崎 諭(やまざき さとる、1922年 - 2000年4月19日)は、日本アマチュア野球選手、アマチュア野球指導者。
== 来歴・人物 ==
静岡県立掛川中学校(現・静岡県立掛川西高等学校)時代に第24回全国中等学校優勝野球大会に出場。旧制山形高校を経て入学した東京大学ではエース投手として活躍し、1946年春の東京六大学野球リーグ戦では、東大史上最高順位である2位の原動力となった。全5試合に投げ、慶大との優勝決定戦の最後の攻防では0-1とリードされたところでランナーを二塁に置き、「両山崎」といわれたもう一方の主将・山崎喜暉がバッターに立ち、ファウル二本で粘るも最後はショートゴロに終わり万事休した。通算成績は11勝14敗〔<15>記録と真実 : 野球とともに 、2012年2月26日閲覧。〕。
大学卒業後、日本興業銀行に入行。野球部で活躍し、引退後も部長を務めるなどしたが、50歳の時に東海大学付属第三高等学校の校長に転身。同時に野球部監督にも就任し、第52回選抜高等学校野球大会出場を果たした。その後、東海大学付属仰星高等学校東海大学付属相模高等学校の校長を歴任した。
2000年、前立腺癌のため死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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