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山川二葉 : ウィキペディア日本語版
山川二葉[やまかわ ふたば]

山川 二葉(やまかわ ふたば、弘化元年8月19日1844年9月30日) - 明治42年(1909年11月14日)は、日本教育者
== 人物 ==
会津藩国家老・山川重固と会津藩士・西郷近登之の娘・えんの間に7人兄弟の長女として出生。、三輪、健次郎、常磐、咲子の弟妹がいる〔遠藤2008、27頁脚注。〕〔*>ほかに夭折した兄弟が5人。次女三輪は会津藩士桜井政衛の妻。三女操子は会津藩士小出光照に嫁ぎ、夫を佐賀の乱で亡くした後宮内庁に入り御用掛兼昭憲皇太后附女官、フランス語通訳として仕えた。〕。
明治元年(1868年)から同2年(1869年)に行われた戊辰戦争において会津若松城の防衛戦に参加した。会津藩家老梶原平馬と結婚したが、短期間で別れ、一子・景清は二葉が養育した。景清は海軍軍医として、呉海軍工廠軍医長などを務めて軍医大佐となり、また創設以来の稚松会会員である〔『稚松会会員名簿』(明治45年3月調)、『財団法人 稚松会名簿』(昭和12年12月)〕。
明治10年(1877年)よりお茶の水女子大学の前身である女子高等師範学校に寄宿舎長として勤務した。同郷の校長・高嶺秀夫の紹介であり、勤続28年であった。教育に果たした功績から高等官となり、従五位に叙せられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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