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諸国山川掟[しょこくさんせんおきて] 諸国山川掟(しょこくさんせんおきて)は寛文6年(1666年)に江戸幕府が示した、下流域の治水を目的に上流域の森林の開発を制限する掟。 ==内容== 森林の乱開発により、土砂流出が活発になったことから、草木の根株の採掘を禁じ、上流の山方の左右に木立無き所には苗木の植栽を奨励し土砂流出を防ぎ、土砂災害に遭いやすい場所の新田、および既存の田畑の耕作を禁じたもの。全3条からなり、当時の老中である久世広之、稲葉正則、阿部忠秋、酒井忠清の連名で発せられた。 諸国山川掟の全文は以下の通り。〔(『御当家令集』二八四号・『徳川禁令考』四〇二二号)知野泰明「近世の災害2」/ 北原糸子編著『日本災害史』吉川弘文館 2006年 181ページ〕。
覚 山川掟 〔 〕
一、近年は草木之根迄掘取候故、風雨之時分、川筋え土砂流出、水行滞候之間、自今以後、草木之根掘取候儀、可為停止事、
一、川上左右之山方木立無之所々ハ、当春より木苗を植付、土砂不流落様可仕事、
一、従前々之川筋河原等に、新規之田畑起之儀、或竹木葭萱を仕立、新規之築出いたし、迫川筋申間敷事、
附 山中焼畑新規に仕間敷事、
右条々、堅可相守之、来年御検使被遣、掟之趣違背無之哉、可為見分之旨、御代官中え可相触者也、
寛文六年也 午二月二日
久 大和守
稲 美濃守
阿 豊後守
酒 雅楽頭
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「諸国山川掟」の詳細全文を読む
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