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山川 賢信(やまかわ かねのぶ、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。富塚小平二。帯刀。伊達氏家臣・富塚信綱の弟。 伊達政宗に仕える。関ヶ原の戦いの時に上杉景勝軍と戦い、戦功を挙げるが、その後伊達家を出奔、山川賢信と名を変え大坂城に入城する。 大坂冬の陣では後藤基次の下で八丁目口の守備を任される。 大坂夏の陣の道明寺の戦いで奮戦するも及ばず、北川宣勝と共に八幡滝本坊に隠れたが、やがて自首した。徳川家康に罪を許され、その後は平戸藩主松浦隆信の家臣となった。 道明寺で討死したとの説もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山川賢信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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