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山形オリンピック構想(やまがたオリンピックこうそう)は、1998年冬季オリンピックの開催を山形市で目指していた構想。日本オリンピック委員会(JOC)総会の決定により開催は実現しなかった。 ==招致運動の経緯== *1961年 - 1968年第10回オリンピック冬季開催都市として国内立候補。国内候補地は札幌市に決定したが第10回大会の誘致には失敗した。 *1985年5月20日 - 蔵王温泉組合が「オリンピック冬季大会招致」を決議。 *1985年7月26日 - 山形青年会議所、山形商工会議所が相次いで「オリンピック招致推進」を決める。 *1986年2月24日 - 蔵王温泉組合、山形青年会議所、山形商工会議所、山形県スキー連盟、蔵王地区開発振興会が山形県議会および山形市議会に対し「オリンピック招致決議」を請願する。 *1986年3月20日 - 山形市議会が「オリンピック冬季大会の山形招致」を決議。 *1986年10月8日 - 山形県議会が「オリンピック冬季大会の山形招致」を決議。 *1986年10月9日 - 「山形オリンピック冬季大会招致委員会」が設立される。 *1986年12月22日 - 山形市が日本オリンピック委員会(JOC)に「第18回オリンピック冬季競技大会開催都市立候補申請書」を提出。長野に続いて2都市目。 *1988年6月1日 - JOCの委員会における投票により長野が国内開催候補都市に選出された。得票数は長野34票、盛岡7票、旭川4票、山形0票。 *1991年6月15日 - 第97回国際オリンピック委員会総会にて1998年長野オリンピックの開催が決定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山形オリンピック構想」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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