翻訳と辞書
Words near each other
・ 山手町 (芦屋市)
・ 山手線
・ 山手線ゲーム
・ 山手線コンソーシアム
・ 山手線パス
・ 山手線ホーム柵
・ 山手線内回り〜愛の迷路〜
・ 山手線探偵 まわる各駅停車と消えたチワワの謎
・ 山手線方式
・ 山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム
山手舞踏場
・ 山手茂
・ 山手警察署
・ 山手貨物線
・ 山手通
・ 山手通り
・ 山手通り (北九州市)
・ 山手通り (桐生市)
・ 山手隧道
・ 山手電車区


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

山手舞踏場 : ウィキペディア日本語版
クリフサイド
クリフサイド (Cliff Side) は、神奈川県横浜市中区元町にある、1946年創業のダンスホール1950年代から1960年代にかけて、ナイトアンドデイブルースカイと並んで横浜を代表する大規模なナイトクラブであった。
== 歴史 ==
1946年8月、元町の代官坂に近い600坪弱の敷地に、木造2階建ての「山手舞踏場」が設立され、後に「クリフサイド」としてナイトクラブとなった〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。1階にあるメインのダンスフロアはおよそ100平方メートルの広さに、通常の3階分に相当する高さの吹き抜けが設けられ〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕、フロアは桜の木でできている〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。最初期には、一部の富裕層しか入店できない高級店であり、飲食が提供され、従業員の女性ダンサーが客のダンスの相手をしており、女性ダンサーの数は最盛期には200人ほどであったという〔。銀行員の初任給が220円という当時、ダンスを踊るためのチケットは10回分が40円であった〔。その後は、経済成長とともに、より広い層が入店するようになっていった〔。
当時の横浜は、在日米軍の施設が多かったことから、ジャズ文化が根付いており、若者たちはクリフサイドをはじめとするナイトクラブで踊ることが多かったという〔:猪上杉子による鶴岡博ヘのインタビュー〕。
初期には、トランペッターの南里文雄がしばしばステージに立っており、2階の小宴会場が現在「トランペット・ルーム」と称されるのは、南里にちなんだものである〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕
1990年代の時点で、ナイトクラブとしての実態は失われており、「今はバンド演奏とレストラン、バーの営業が中心で、週末にはダンスパーティーがよく開かれる」と紹介されていた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クリフサイド」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.