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山本作兵衛 : ウィキペディア日本語版
山本作兵衛[やまもと さくべい]
山本作兵衛(やまもと さくべい、さくべえ、1892年5月17日 - 1984年12月19日)は、福岡県出身の炭鉱労働者、炭鉱記録画家
日本で初めてユネスコ記憶遺産(世界の記憶)の登録を受けた炭鉱画で知られる。
==人物==
1892年(明治25年)、福岡県嘉麻郡笠松村鶴三緒(現・飯塚市)生まれ。7歳から父について兄とともに炭鉱に入り、立岩尋常小学校を卒業後、1906年(明治39年)に山内炭坑(現・飯塚市)の炭鉱員となった。以後、採炭員や鍛冶工員として、筑豊各地で働きながら、日記や手帳に炭鉱の記録を残した。福岡県田川市にある炭鉱事務所の宿直警備員として働き始めた60代半ばに、「子や孫にヤマ(炭鉱)の生活や人情を残したい」と絵筆を取るようになり、自らの経験や伝聞を基に、明治末期から戦後にいたる炭鉱の様子を墨や水彩で描いた。余白に説明を書き加える手法で1000点以上の作品を残した。主要作は画文集『炭鉱に生きる』(1967年)。「ヤマの絵師」として知られた。1984年(昭和59年)、老衰のため死去、。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山本作兵衛」の詳細全文を読む



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