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山本 佳子(やまもと よしこ、1970年6月6日 - )は日本の元女子陸上競技・マラソン選手。元日本女子マラソン最高記録保持者。本名、本田 佳子(ほんだ よしこ)。兵庫県神戸市出身。夫は、元マラソン選手で現・シスメックス女子陸上競技部の監督本田大造で、現在2児の母。 == 経歴 == 中学生から本格的に陸上競技を始める〔豊岡示朗(編)『女性のためのマラソントレーニング』出版芸術社、1995年、p73〕。当時、父親から毎日10kmのロードワークを課せられており、滝川第二高等学校進学後は学校と自宅の間の約16 - 17kmをほぼ毎日走って帰宅していた(夏休みには練習に登校する際も走っていた)〔。 高校3年生の1988年、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会の近畿予選に3000mで出場するも敗退し、ショックから胃潰瘍を発症、その治療薬の副作用で今度は貧血にかかり、秋の京都国体でも予選落ちしてしまう〔『女性のためのマラソントレーニング』p75〕。高校生活最後の年が「全部ダメになった」という印象から、父の強い勧めもあり、1989年1月の大阪国際女子マラソンへの出場を決めた〔。本番では9位、日本人2位でゴール。この大会から創設されたフレッシュランナーズカップ賞を受賞した。ゴールタイムの2時間38分10秒は高校生としては増田明美に次ぐ歴代2位の記録であった(現在は同マラソン大会で高校生の出場は不可)。高校卒業後、かつて中山竹通や山口衛里らも所属していたダイエー陸上部に進んだ。2年目からは父親がダイエーのコーチに就任して指導に当たるようになった〔。 1992年の大阪国際女子マラソンから1993年のアムステルダムマラソンまで、出場した5大会連続のマラソン大会で、2時間30分未満のゴールタイムを突破した。なお連続5回以上は、当時ロザ・モタ(ポルトガル)、イングリット・クリスチャンセン(ノルウェー)以来世界女子でも当時3人目の快挙だった。特に1992年のボストンマラソンで記録した2時間26分26秒は、当時の日本女子最高タイ記録(小鴨由水と同タイム)である。 このように安定した成績をあげていたが、1995年の阪神・淡路大震災は、神戸市に生まれ、神戸を本拠地とするダイエー陸上部に所属していた彼女の競技生活に大きな影響を及ぼした。足底筋膜炎にも悩まされ、1996年のアトランタオリンピックの選考レースへも出場できなかった。バルセロナオリンピックの代表選考レースだった1992年の大阪国際女子マラソンでは、小鴨由水や松野明美に後れをとって選に漏れており、結局オリンピック代表入りは果たせなかった。 1997年に所属をムーンバットに変更。名古屋国際女子マラソンからわずか1年の間に、5回もフルマラソンを出走するという計画の下、選手生活を燃え尽くす決意をしたという。そして1998年の大阪国際女子マラソンの完走を最後に、27歳で現役引退となった。引退後は、講演・レース解説・ゲストランナー・ランニングアドバイザー等で活動中である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本佳子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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