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山本収 : ウィキペディア日本語版
山本収[やまもとおさむ]

山本収(やまもとおさむ、1937年(昭和12年)8月5日-)は、日本の実業家。
ネットワンシステムズ株式会社、イントラネットシステム、アライドテレシス株式会社の代表取締役社長を務めた。
==来歴==

*1937年(昭和12年)福井県に生まれる。1960年(昭和35年)早稲田大学商学部卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社入社する。
*1985年(昭和60年)日本アイ・ビー・エム㈱を退職し、アンガマン・バス株式会社に入社、営業部長を経て、常務取締役営業本部長に就任。1988年(平成2年)2月、アンガマン・バス(株)代表取締役社長上原政二三菱商事株式会社と合弁で設立したネットワンシステムズ㈱の取締役副社長に就任し、上原政二の退任に伴い、1992年6月、同社代表取締役社長に就任した。1996年(平成8年)には株式店頭公開を行い、当時、株価は300倍以上の上昇を見せ、IT系ベンチャー企業及びネットワークインテグレーターの存在を市場に認知させた。〔株式会社BCN 『週刊BCN vol.758』 (1998年8月31日号) 掲載記事 「イントラネットシステム倒産 - 時期尚早のビジネスだったのか」〕
*ネットワンシステム(株)代表取締役会長に就任後、1996年、イントラネットシステムを設立し、代表取締役社長に就任するが、1998年に東京地方裁判所に自己破産を申請し、事実上倒産をさせた。〔株式会社BCN 『週刊BCN vol.758』 (1998年8月31日号) 掲載記事 「イントラネットシステム倒産 - 時期尚早のビジネスだったのか」〕2004年7月、アライドテレシス㈱代表取締役社長に就任するが、2005年3月に退任した。そして、2006年11月、証券取引等監視委員会からアライドテレシス㈱役員時代の証券取引法違反(インサイダー取引)の疑いで、次男・浩と共にさいたま地方検察庁告発され、2007年3月、さいたま地方裁判所の判決公判で懲役1年6月(執行猶予5年)、罰金100万円、追徴金約1,090万円の判決を受けた。〔毎日新聞 2007年3月21日 「アライドテレシスのインサイダー取引 - 父子に有罪判決」〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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