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山本 宏美(やまもと ひろみ、1970年4月21日 - 現姓・山中)は北海道白老郡白老町出身の元スピードスケート選手。1994年リレハンメルオリンピック銅メダリスト。 == 略歴 == 3歳頃からスケートを始める。白老中学校1年の時に全国中学校体育大会で優勝した。駒大苫小牧高校を卒業後、王子製紙に入社し、全日本スピードスケート選手権などで活躍。スピードスケートの種目では主に中・長距離を得意とした。 だが1992年の年明けに脳腫瘍を患い入院。1993年春頃には左足首の靱帯を断裂する大怪我を追い手術を受ける。このケガを機に、足に負担が掛からない小刻みなピッチ走法に変えた所、これが功を奏してスピードスケートの自己記録を次々と更新し、翌1994年に自身初の冬季オリンピック日本代表に選出された。 1994年2月開催のリレハンメル五輪・スピードスケート女子5000mでは、序盤はスローペースながらも中盤から終盤にかけてラップを上げスピードアップ、結果7分19秒68のゴールタイムで当時の日本新記録をマーク(自身の日本記録も11秒17更新)して3位入賞・銅メダルを獲得。また同五輪・女子3000mでも7位入賞(4分22秒37)を果たし、女子1500mは15位(2分06秒54)であった。 冬季オリンピックの日本代表選手で、スピードスケート・長距離走種目においてのメダル獲得は、山本が史上初である。また冬季五輪で当時の日本代表女子選手としては、1992年のアルベールビルオリンピックで各メダルを獲得した橋本聖子(スピードスケート女子1500m)の銅と、伊藤みどり(女子フィギュアスケート)の銀に続いて、彼女が史上3人目のメダリストとなった。 1995年に現役を引退、翌1996年に王子製紙アイスホッケー部に所属する山中武司と結婚した〔。 1998年2月の長野オリンピック開会式では、同スピードスケートの種目でかつ駒大苫小牧高校の6年先輩でもある橋本聖子らと共に、オリンピック旗の入場行進に参加した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本宏美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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