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沢辺琢磨[さわべ たくま]
沢辺 琢磨(さわべ たくま、天保5年1月5日(1834年2月13日) - 大正2年(1913年)6月25日)は日本ハリストス正教会初の正教徒(ハリスチャニン=クリスチャン)にして最初の日本人司祭である。聖名(洗礼名)はパウェル(パウロ)。沢辺姓を名乗る前は山本琢磨。 == 生涯 ==
=== 出生から函館まで === 天保6年(1835年)、土佐国土佐郡潮江村(現在の高知市)に土佐藩の郷士である山本代七の長男として生まれる。幼名は数馬。代七の弟・八平は同じ土佐郷士の坂本家に婿養子として入り坂本直足と改名、次男に坂本龍馬をもうけており龍馬とは血縁及び実質上の従兄弟同士である。また琢磨の母は武市瑞山(半平太)の妻である富子の叔母であった。 武術に優れ江戸に出て三大道場の一つといわれた鏡心明智流の桃井道場でその腕を一層磨き、師範代を務めるまでになる。ところがある晩、酒を飲んでの帰り道に拾った金時計を酔った勢いで一緒にいた友人と共謀し時計屋に売ってしまい直ちにそれが不法なものであることが発覚して窮地に追い込まれる。訴追を逃れるために龍馬や半平太の助けを得て江戸を脱出。東北各地を流れ回った末、新潟にたどり着いたところで出会った前島密に箱館(現・函館市)に行くことを勧められ箱館に落ち着く。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沢辺琢磨」の詳細全文を読む
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