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山本有三記念館 : ウィキペディア日本語版
三鷹市山本有三記念館[みたかし やまもとゆうぞうきねんかん]

三鷹市山本有三記念館(みたかし やまもとゆうぞうきねんかん)は、東京都三鷹市下連雀二丁目にある公立博物館
昭和初期に、三鷹にて暮らした作家・山本有三の生涯や作品を紹介したり、展示やイベントを開催したりしている。
なお、同館の建物には、山本が1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで、家族とともに居住した大正末期竣工の洋館(三鷹市有形文化財に指定)がそのまま利用されている。
== 概要 ==
1919年大正8年)には吉祥寺駅ができ、敷地周辺は南井之頭田園住宅として開発され、1923年(大正12年)の関東大震災以降、東京郊外への住宅移転が盛んになり、東京女子大学成蹊学園明星学園などの教育施設が周辺にできた。山本有三一家が居住した洋館もその一角にて、当初は商社役員や大学教員を務めた実業家・清田龍之助の住宅として建てられたものである。清田は1918年(大正7年)に土地を購入し、1926年(大正15年)に邸宅を建てた。その後、清田が1931年(昭和6年)に実業界を退くと、住宅は競売にかけられた。
山本有三はその頃、武蔵野村(現・武蔵野市)の吉祥寺に住んでいたが、家が手狭になったことと、住宅の周囲に家が建て込んできたことから、著述のための静かな環境を探していた。そして、三鷹村(現・三鷹市)下連雀に建つ清田の旧宅を訪れると、そこを気に入り1936年(昭和11年)に購入した。転居後の山本は同宅にて、『路傍の石』、『米百俵』を執筆している。
三鷹の山本邸は、戦時中の5回に渡る空襲による被害を免れたが、戦後の1946年(昭和21年)に進駐軍接収されたため、山本一家は転居し、その後同宅に戻ることはなかった。1951年(昭和26年)12月に進駐軍の接収が解除された後は、1953年(昭和28年)3月まで国立国語研究所三鷹分室が置かれた〔表紙のことば | 国立国語研究所 - 広報誌『国語研の窓』第5号(2000年10月1日発行)、2015年5月17日閲覧。〕。1956年(昭和31年)9月に山本が敷地と建物を東京都に寄贈した後は、1958年(昭和33年)1月より東京都立教育研究所三鷹分室「有三青少年文庫」として長期間使用された〔山本有三文庫の蔵書調査 - 東京都立図書館 (PDF)、2015年5月17日閲覧。〕。1985年(昭和60年)に三鷹市に移管され、1996年平成8年)から「三鷹市山本有三記念館」として使われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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