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山本条太郎[やまもと じょうたろう]
山本 条太郎(やまもと じょうたろう、1867年11月6日(慶応3年10月11日) - 1936年(昭和11年)3月25日)は日本の実業家・政治家。 == 経歴 == 越前国福井城下、現在の福井県福井市の生まれ。病気のため共立学校を中退後、三井物産横浜支店に奉職。1909年(明治42年)、常務取締役。1914年(大正3年)、シーメンス事件に連座して退社。その後は事業家として再出発し、多くの会社の社長・役員を務める。 1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙で、福井県第1区に立憲政友会から立候補して当選、以後4選される(第16回衆議院議員総選挙以降は福井県全県区。また、最後の選挙となった第18回衆議院議員総選挙は無投票当選だった)。政友会では幹事長等を歴任し、山崎猛ら10名前後の傘下議員を抱えていた。 1927年(昭和2年)から1929年(昭和4年)まで南満洲鉄道株式会社社長(就任当時は理事会が廃止されて、満鉄トップの役職は「社長」となっていた。1929年6月20日付で総裁に再変更)。大胆な改革を行い「満鉄中興の祖」とも言われたが、張作霖爆殺事件を機に後ろ盾であった田中義一内閣が瓦解し辞任する。茶人としても知られる。 1936年(昭和11年)3月25日死去。享年68。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本条太郎」の詳細全文を読む
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