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山本雅弘[やまもと まさひろ] 山本 雅弘(やまもと まさひろ、1951年 - )は、石川県出身の高校野球指導者。星稜高等学校、星稜中学校を経て現在は遊学館高等学校野球部監督。理論(ビデオ分析等)立てた指導で知られる。 ==来歴== 日本体育大学卒業後、星稜高等学校に赴任。1990年に同校付属の星稜中学校野球部監督に就任すると11年の在任期間中に9度の全国大会に出場。全国中学校軟式野球大会で2度、全日本少年軟式野球大会で1度それぞれ優勝を果たす。同校は全国で唯一全国中学校軟式野球大会と全日本少年軟式野球大会の両方で優勝経験のある学校であると同時に、両大会での優勝経験を持つ監督は山本と後任の田中辰治のみである。 2000年の秋、それまで女子校であった遊学館高等学校の共学化に伴い設立される野球部の監督就任を打診され承諾。同校野球部は創部後史上最速の1年4ヶ月で第84回全国高等学校野球選手権大会に出場。1・2年生だけのチームでベスト8まで進出した。 同校野球部躍進の背景には、小嶋達也、行田篤史に代表される石川県外の優秀な選手の存在はもとより、嘗て山本が指導していた星稜中学校から、山本を慕い遊学館に進路を変更した選手の存在が大きい。また、いち早く動画解析などを取り入れ急速に石川県を代表するチームを作る。1,2年生だけで甲子園出場果たし、中でも小嶋投手の3試合43奪三振、行田選手の夏の甲子園大会通算1000号本塁打と一躍、時の人となる。その代表が鈴木将光である。対照的に、星稜は有力な選手の供給源であった付属中学校からの進学者がライバル校に流出したため長期に亘る低迷を余儀なくされた。山本の遊学館就任は石川県の高校野球の勢力図を大きく変えたとされている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本雅弘」の詳細全文を読む
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