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山村 善則(やまむら よしのり、1955年4月11日〔『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P127。〕 - )は、大阪府和泉市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)〔。 == 来歴・人物 == 大鉄高等学校(現:阪南大学高等学校)では夏の甲子園府予選準々決勝に進出するが、有田二三男投手を擁する北陽に敗れ、甲子園には届かなかった。 同年のドラフト1位で太平洋クラブライオンズに入団〔。太平洋からの当時の評価は「有藤2世」だったという。からは、退団したビュフォードに代りレギュラー三塁手となり、同年は112試合に出場。には五番打者としても起用され、規定打席(打率.269、32位)に到達した。しかしにはスティーブ、ダンカンが入団。定位置を両外人に譲り外野手にコンバートされるが、打撃が低迷し、出場機会が減少する。 キャンプイン直前に片平晋作、黒田正宏との交換トレードで、山下律夫とともに南海ホークスに移籍。にはレギュラー左翼手として108試合に出場、打率.294の好成績を残す。その後はやや低迷するが、からは池之上格の故障もあり、三塁手、外野手を兼ねて活躍した。球団が福岡ダイエーホークスとなったシーズン終了後に現役引退。その後はよりダイエーおよびソフトバンクの育成コーチ、打撃コーチを務め2012年限りで退任。編成・育成部国内担当に転身した。 入団2年目の、対ロッテ連戦の5月30日に8回代打で初打席初本塁打、6月1日(ダブルヘッダー第2試合)に守備固めで途中出場し、8回の打席で史上初めてプロ入り初打席から2打席連続本塁打を放った〔。特に2本目はそれまでノーヒットに抑えられていた成田文男からのチーム初ヒットだった。 弟は1977年(ドラフト6位)~1979年に外野手としてクラウンライター、西武に在籍した山村勝彦。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山村善則」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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