翻訳と辞書
Words near each other
・ 山梨県小瀬スポーツ公園武道館
・ 山梨県小瀬スポーツ公園球技場
・ 山梨県小瀬スポーツ公園補助競技場
・ 山梨県小瀬スポーツ公園野球場
・ 山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場
・ 山梨県師範学校
・ 山梨県幼稚園の廃園一覧
・ 山梨県幼稚園一覧
・ 山梨県庁
・ 山梨県庁舎
山梨県志
・ 山梨県指定天然記念物
・ 山梨県指定文化財
・ 山梨県指定文化財一覧
・ 山梨県教職員組合政治献金問題
・ 山梨県教育委員会
・ 山梨県旗
・ 山梨県東部地震
・ 山梨県歯科医師会
・ 山梨県民会館


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

山梨県志 : ウィキペディア日本語版
山梨県志[やまなしけんし]
山梨県志』(やまなしけんし)は、1915年大正4年)に山梨県で実施された民間の修史事業。若尾財閥の三代目当主・若尾謹之助により企図されたが、中途に終わった。
== 「山梨県志」以前の修史事業 ==
「山梨県」は江戸時代までの令制国における「甲斐国」と同一の範囲を差し、明治維新を経て1871年明治4年)7月の廃藩置県により甲府県から改称され成立した。「山梨」は甲斐四郡のうちの山梨郡に由来し本来甲斐国全体を指す呼称ではなく、明治初期に設立された山梨県内の政治団体や出版物においては「峡中」が一般の用いられている〔『山梨県史』通史編5、p.14〕。明治後期には「山梨」が全県を指す呼称として定着し〔『山梨県史 通史編5』、p.504〕、「山梨県志」においても用いられている。
甲斐国・山梨県における修史事業としては江戸中後期に甲斐国を見聞した随筆紀行文地誌類が出現し、文化11年(1814年)には甲府勤番松平定能が主体となった『甲斐国志』が編纂された。甲斐国志は甲府勤番が主体となり編纂され最終的に幕府に献本されたが、私選の総合地誌として地域の長百姓が編纂委員として登用され、自由な執筆態度で編纂された。甲斐国志の「志」は紀伝体歴史書における項目名を意味し〔石川(2014)、p.1〕、主に社会地理、制度、文化などが著述された総合地誌となった。
その後、「山梨県志」の編纂まで大規模な修史事業は行われていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山梨県志」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.