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山森 雅文(やまもり まさふみ、1960年11月26日〔『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P110。〕 - )は、熊本県宇城市出身の元プロ野球選手(外野手)。1988年登録名は山森 眞幸。 == 来歴・人物 == 熊本工業高校入学当初は投手であったが、監督に投球フォームを変えたほうがいいと指摘され、これが気に障り外野手に転向した。高校卒業後1978年のドラフト会議で阪急ブレーブスに4位指名され入団。会議当日は自動車教習所で普通運転免許の学科試験を受けていた。 守備は上手かったが、打撃が思うように行かず、毎年のように打撃力向上が課題とされていた。しかし、大事な場面で打席が回ってきたときの安打は多く、1984年には初の満塁本塁打を、翌年には2本の満塁本塁打を記録し、勝負強さを示している。1986年には規定打席に到達していないにもかかわらず守備が評価されゴールデングラブ賞を受賞。1994年に現役引退。 引退後、1995年に上田利治監督の下で日本ハムの一軍外野守備走塁コーチ、2000年二軍コーチ、2001年からオリックス二軍のコーチを歴任。2004年限りで退団。 2005年11月には台湾・統一ライオンズの打撃コーチに就任が発表されたが、就任前に辞退した。2007年より、千葉ロッテマリーンズのスカウトに就任し2011年からはロッテの一軍外野守備走塁コーチを務め〔2011年度のコーチングスタッフのお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2010年11月21日〕、2012年からは同球団の二軍外野守備走塁コーチを務める。10月15日、球団から来季のコーチ契約更新はない旨を通知された〔コーチ契約に関するお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月15日〕。2013年からは再びスカウトを務める〔週刊ベースボール2014年3月24日号 P18〕。 愛称はゾンビ(映画『ゾンビ』を他の選手と見に行き、その映画に出てくるゾンビに似ていたことから)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山森雅文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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