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『山海経』(せんがいきょう、山海經、中国語 Shān Hăi Jīng)は、中国の地理書。中国古代の戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、最古の地理書(地誌)とされる。 == 概要 == 『山海経』は今日的な地理書ではなく、古代中国人の伝説的地理認識を示すものであり、「奇書」扱いされている。著者は禹の治水を助けた伯益に仮託されるが、実際は多数の著者の手によるものと考えられる。内容のほとんどは各地の動物、植物、鉱物などの産物を記すが、その中には空想的なものや妖怪、神々の記述も多く含まれ、そこに古い時代の中国各地の神話が伝えられていると考えられている。そのため、後世失われたものの多い中国神話の重要な基礎資料となっている。 もともとは絵地図に解説文の組み合わせで構成されており『山海図経』と呼ばれていたが、古い時代に既に絵地図も失われてしまっており現存もしていない。そのため、現在残されている画像は『山海経』本文にある文章から逆算された後世の想像によるものであり、伝来する系統によって全く違う画像となっているものも存在している。(#山海経図を参照) また、本文も当初そのままのものは伝来してはおらず、後世に編集・再構成がほどこされているため、各所各所で復元のされていない箇所、再構成によって方位など文意の不明確な箇所も存在している(脱簡・錯簡が起こってしまっている)。五蔵山経(南山経から中山経の5巻)では本文中にその巻に登場した山の数、距離を合計して何里あるかを示す文章が登場しているが、おおよそ本文に示されている山の数・距離と計算が合っていない。これは復元されずに消滅してしまった文章が存在しているためであると考えられている〔小川琢治『支那歴史地理研究』 弘文堂 1928年 131頁〕。 構成している総編数・総巻数には時代によって異同があり、劉歆(りゅうきん)が漢室にたてまつった際には伝わっていた32編を校訂して18編としたとされている。『漢書』「芸文志」では13編。『隋書』「経籍志」や『新唐書』「芸文志」では23巻、『旧唐書』「経籍志」では18巻。『日本国見在書目録』では21巻としている。現行本は、西晋の郭璞(かくはく)の伝(注釈)を付しており、5部18巻となっている。 河南省の洛陽近郊を中心として叙述されている。五蔵山経は、時代を追って成立した本書の中でも最古の成立であり、儒教的な傾向を持たない中国古代の原始山岳信仰を知る上で貴重な地理的資料となっている。地理学者・小川琢治は、洛陽を中心としている点・後の儒学者たちが排除した伝説や鬼神の多く登場する点・西王母が鬼神のような描写である点から、五蔵山経の部分の成立は東周の時代ではないかと推定をしている〔小川琢治『支那歴史地理研究』 弘文堂 1928年 161頁〕。 日本へは平安時代に伝わり、江戸時代には刊本として流通していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山海経」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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