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山添 喜三郎(やまぞえきさぶろう、1843年 - 1923年5月16日)は、明治初期の建設技術者。 現在の新潟県出身。船大工をしていたが、東京に出て松尾伊兵衛に建築を学んだ。松尾とともにウィーン万国博覧会(1873年)に参加し、日本館を建設。1年間ウィーンやロンドンで西欧建築にふれた。帰国後、内務省を経て宮城県技師になった。擬洋風建築の登米(とよま)小学校(宮城県登米(とめ)市)で知られる。 == 主な作品 == *新町紡績所 *登米小学校(1888) 重要文化財 *登米警察署(1889) 現警察資料館、宮城県指定文化財 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山添喜三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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