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山濤 : ウィキペディア日本語版
山濤[さん とう]

山 濤(さん とう、205年(建安10年) - 283年太康4年))は、中国三国時代および西晋の文人。巨源司隸河内郡懐県(現在の河南省)の人。父は山曜。
幼少時に父を亡くしたため、貧窮した生活を送った。老荘思想に耽って嵆康阮籍らと交遊し、竹林の七賢の一人となった。40歳を過ぎて官途について司馬氏に属したため、嵆康を朝廷に推薦した時に「與山巨源絶交書」(山巨源に与える絶交書)を突き付けられた。しかし、嵆康の刑死の際には息子の行く末を託された事からみても、彼らの友情は変わらなかったものと思われる。
曹爽の台頭により隠棲するが、曹爽が司馬懿のクーデターで粛清されると再び出仕した。
264年司馬昭鍾会の謀反鎮圧のため洛陽を離れると、山濤を行軍司馬に任じ、の警護をさせた。簒奪を目前に控えた司馬昭は、曹氏一族を鄴に軟禁していた。山濤はその監視を任された(これは、司馬昭の母方の祖母山氏が山濤の大叔母に当たったため、親戚として任命されたからである)。
西晋代になって、吏部尚書太子少傅を歴任するなど栄達し、79歳のとき司徒になった。嵆紹を推挙したり、諸葛京を東宮舎人に推挙したりしている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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