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山田巳之助[やまだ みのすけ]
山田 巳之助(やまだ みのすけ、1893年11月13日 - 1968年8月3日)は、東京市(現在の東京都)出身の俳優。 ==来歴・人物== 1893年(明治26年)11月13日、東京市に生まれる。府立第三中学から郁文館中学に転校して同校を中退〔『日本映画俳優全集・男優篇』p.609〕。 1914年(大正3年)、井上正夫の門下となり、1950年(昭和25年)に井上が亡くなるまで彼の主演する映画や舞台に出演した〔〔新撰 芸能人物事典 明治~平成「山田巳之助」の項 〕。1915年(大正4年)、天活が井上一座と契約を結んで製作した連鎖劇の第1作『搭上の秘密』で映画に初出演し、小林商会による井上主演の連鎖劇に脇役出演した〔。その後、井上に従って国活、松竹蒲田撮影所、松竹下加茂撮影所の映画に出演し、1936年(昭和10年)には新興キネマ製作の『大尉の娘』でトーキー映画に初出演した。戦中は井上演劇道場に在籍した〔劇団新派公式サイト 俳優名鑑 〕。 戦後、井上の第2次新協劇団移籍により山田も同劇団に入るが、戦前期に長く在籍した松竹に戻って舞台出演を続けた〔〔。その一方、映画にも脇役として、黒澤明監督の『生きる』、山村聡監督の『蟹工船』等に出演。1954年(昭和29年)からは東宝の専属俳優となり〔、稲垣浩監督『無法松の一生』や特撮映画に出演した。1960年代頃からはテレビドラマにも出演している。 1968年(昭和43年)8月3日、死去〔『演劇年鑑』p.173〕。74歳没。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田巳之助」の詳細全文を読む
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