翻訳と辞書
Words near each other
・ 山田敦士
・ 山田敦子
・ 山田敬三
・ 山田敬中
・ 山田敬之
・ 山田敬男
・ 山田敬蔵
・ 山田敬藏
・ 山田斂
・ 山田文
山田文七
・ 山田文右衛門
・ 山田文明
・ 山田文比古
・ 山田文法
・ 山田文雄
・ 山田文雄 (動物学者)
・ 山田新一郎
・ 山田新左衛門
・ 山田方谷


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

山田文七 : ウィキペディア日本語版
山田文七[やまだ ぶんしち]
山田文七(やまだ ぶんしち)は、愛知県稲沢市にかつて存在した稲葉宿の家名の1つ。
== 解説 ==
稲葉宿では、山田市三郎と山田文七、山田藤吉は、名跡となっており、明治時代から昭和時代まで、代々襲名した。〔新修 稲沢市史 本文編 下 115頁, 186頁、 ならびに、新修 稲沢市史 資料編15 近現代二 191頁〕
〔江戸時代までさかのぼると、新修 稲沢市史 本文編下 116頁の記述や東海銀行史によると、山田市三郎家は、尾張藩の為替御用達を勤めている。〕
明治期の山田文七は、稲沢銀行稲沢電気稲沢織布の創業者としても、名を連ねる。
〔新修 稲沢市史 本文編 下 115頁, 178頁, 185頁, 191頁〕
昭和期の山田文七は〔1975年没。喪主は、妻の雅子氏。〕、1947年(昭和22年)4月5日 戦後初の第一回の府県知事・市区町村選挙で、愛知県中島郡稲沢町の初代町長に就任した。
〔新修 稲沢市史 本文編 下 362頁〕
稲葉宿にある旧文七邸の瓦1つ1つには、山文の屋号が刻まれている。稲葉宿に残る明治初期の町家の建物の1つ。〔新修 稲沢市史 研究編一 建造物 209頁〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山田文七」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.