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山田為暄[やまだ ためのぶ] 山田 為暄(やまだ ためのぶ〔『日本人名大辞典』1979頁。〕 / ためはる / いけん〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』174頁。〕、1842年12月(天保13年11月) - 1911年5月12日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、警視総監、貴族院議員。旧姓・園田。 == 経歴 == 薩摩藩士・園田八右衛門の四男として生まれる。後、薩摩藩士、山田壮右衛門爲正へ養子入りし、山田家嫡男となる。 1874年、台湾蕃地事務都督府徴集兵第三小隊長に就任。1876年、兵庫県四等警部に任官。以後、同一等警部、兵庫県警部長を歴任。1884年11月、高知県少書記官に転じ、同書記官、同第一部長を務める。 1892年7月、福岡県知事に就任。1893年5月、大分県知事に転任。日清戦争の体勢整備、農水産業の振興を図った。1896年9月、警視総監に就任し、1898年1月まで在任。1904年8月22日、貴族院勅選議員に任じられ〔『官報』第6345号、明治37年8月23日。〕、死去するまで在任。 その他、監獄建築委員長、文官普通試験委員長を歴任した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田為暄」の詳細全文を読む
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