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山田 達雄(やまだ たつお、1922年3月5日 - 1980年6月6日)は、日本の映画監督、脚本家である。 == 来歴 == 1922年(大正11年)3月5日、兵庫県神戸市に生まれる。立教大学卒業。 京都の映画界に入り、伊藤大輔監督の門下となり助監督を務める〔『幻の怪談映画を追って』(山田誠二、洋泉社)〕。1947年(昭和22年)、新東宝で助監督となる。1950年(昭和25年)、中川信夫監督の『アマカラ珍騒動』等でチーフ助監督を務めた〔''山田達雄''、日本映画データベース、2009年10月22日閲覧。〕。 1956年(昭和31年)、監督に昇進し、嵐寛寿郎主演の『剣豪相馬武勇伝 檜山大騒動』で監督としてデビューした〔。1961年(昭和36年)の同社の倒産までに22本を監督した〔。その後は、テレビ映画に進出した。 1980年(昭和55年)6月6日、死去〔年鑑, p.330.〕。満58歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田達雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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