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山県直代 : ウィキペディア日本語版
山縣直代[やまがたただしだい]

山縣 直代山県-、やまがた なおよ、1915年2月22日 - 没年不詳〔『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年、「山縣直代」の項。〕)は、日本の女優である。本名は山縣 玉代(やまがた たまよ)である〔。
== 人物・来歴 ==
1915年(大正4年)2月22日茨城県水戸市泉町に「山縣玉代」として生まれる〔。
日本統治時代の台湾台中市にあった旧制・台中州立台中高等女学校(現在の中華民国国立台中女子高級中学、)を中途退学した〔。満15歳となる1930年(昭和5年)、京都の田中十三らの日本キネマに入社し、岡田三郎監督の『昨日の薔薇』に出演して、映画界にデビューした〔。東京に移り、同年11月、松竹蒲田撮影所に入社〔、翌1931年(昭和6年)、清水宏監督の『餓鬼大将』と『銀河』に出演、高田稔と共演した〔。同年、京都に戻り、日活太秦撮影所現代劇部に入社〔、阿部豊監督の『ゴールイン』等に出演する〔#外部リンク、「山縣直代」、日本映画データベース、2009年11月13日閲覧。〕が、翌1932年(昭和7年)、入江たか子入江ぷろだくしょんが製作した、入江と中野英治主演、溝口健二監督の『満蒙建国の黎明』に出演し〔、以降、新興キネマに移籍した〔。1934年(昭和9年)、曾根純三監督の『不良少年の父』でヒロイン・お鈴を演じた〔。
1935年(昭和10年)、マキノ正博(のちのマキノ雅弘)のマキノトーキー製作所設立に参加〔、同年、根岸東一郎監督の『無鉄砲選手』に出演した〔。翌1936年(昭和11年)1月、陣容を発表した際に「技芸部女優」として名を連ねている〔『映画渡世 天の巻 - マキノ雅弘自伝』、マキノ雅弘平凡社、1977年、p.246、p.280、p.338-374.〕。同年、東京のP.C.L.映画製作所に移籍し〔、矢倉茂雄監督の『処女花園』に出演した後〔、成瀬巳喜男監督の『君と行く路』や、エノケンこと榎本健一主演物に出演した〔。同社は、1937年(昭和12年)9月10日に他社と合併して東宝映画となったので、P.C.L.は東宝映画東京撮影所(現在の東宝スタジオ)となり、山縣は引き続き東宝映画に所属した〔。1938年(昭和13年)、岡田敬監督の『青空二人組』を最後に〔退社し、引退した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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