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山科教言 : ウィキペディア日本語版
山科教言[やましな のりとき]

山科 教言(やましな のりとき、嘉暦3年6月8日1328年7月15日)- 応永17年12月15日1411年1月9日))は、南北朝時代公家。日記『教言卿記』の著者。
== 人物 ==
父は山科教行山科教定の子・山科資行養子)。1346年貞和2年・正平元年)内蔵頭に任じられ、1359年延文4年・正平14年)従三位に叙せられる。1389年康応元年・元中6年)権中納言に任じられるが、翌1390年明徳元年・元中7年)に職を辞して出家し、法名常言を称した。なお、「公卿補任」には没年を応永16年とするが、翌17年に書かれた自筆の日記が現存している。
経済的手腕に富んでいたとされ、教言の時期以後京都に搬入される食料品関係ののいくつかが山科家本所とするようになる。以後、山科家は代々内蔵頭を歴任するようになった。
足利義持から香薬類の代表的合薬である潤体円を与えられた〔宮本義己「室町幕府の対明断交と日琉貿易―続添鴻宝秘要抄を通して―」(『南島史学』62号、2003年)〕。
弟は山科教繁。子に山科教興教冬教藤がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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