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山竹抗争 : ウィキペディア日本語版
山竹抗争[やまたけこうそう]

山竹抗争(やまたけこうそう)とは、平成元年(1989年)7月3日から始まった、五代目山口組(組長は渡辺芳則)と竹中組(組長は竹中武)との暴力団抗争事件
==山竹抗争勃発まで==
竹中組と山口組の確執は、山一抗争の頃から起こっている。竹中組組長から四代目山口組組長となった竹中正久一和会に殺された後、竹中組は山口組側でも武闘派として鳴らし、一和会への報復活動を行っていった。ところが稲川会が中心となって山口組と一和会の仲裁工作が進み、抗争終結に動く山口組執行部とあくまで一和会への報復を継続する竹中組との間に齟齬が生じた〔1986年2月、獄中にあった竹中武 (前年に野球賭博容疑で逮捕、拘留されていた) を中西一男組長代行が訪ねるも、竹中は抗争継続を主張し仲裁受け入れに反対を表明している。〕。山口組が抗争終結を決めた後でも竹中組は山口組離脱をにおわせ、更に配下の幹部が一和会・山本広会長を襲撃した際に警備の警官まで怪我を負わせるなど山口組から見れば厄介な存在にさえなっていた〔後に五代目組長となる渡辺芳則は、竹中武に対して「シャブ打ってやったとしか思われない。プラスになることは一つもない」と山広襲撃を実行した竹中配下の幹部を非難する発言をしている。〕。
1988年(昭和63年)6月には山口組五代目の組長を誰にするかが問題となり(山口組五代目跡目問題)、翌1989年(平成元年)2月27日の定例総会で、竹中組竹中武組長は山口組の若頭補佐に就任。4月20日には山口組緊急幹部会が開かれ、山口組五代目の人選が議論された。この席では竹中武は態度を保留し、四代目山口組若頭渡辺芳則と四代目山口組組長代行・中西一男が話し合った上で、中西が五代目山口組組長立候補を取り下げ渡辺の山口組五代目擁立が決まる〔中西は、4月27日の山口組直系組長会で五代目山口組組長立候補取り下げの経緯を説明している。〕。
跡目問題に決着をつけた渡辺は、4月下旬に神戸市花隈の山健組事務所で、本部長・岸本才三岸本組組長)と近松組近松博好組長と会合を持って、竹中武を山口組に留め置くことを確認。その上で竹中武の連れ戻しを協議したが、若頭補佐・宅見勝宅見組組長)がこれに反対。宅見は、山口組心腹会尾崎彰春会長に依頼して岸本に竹中武連れ戻しを断念させ、結局のところ渡辺も宅見の考えに同調して竹中武の連れ戻しは白紙になった。
5月10日の山口組緊急執行部会で、宅見の山口組若頭就任が内定。この時竹中武は緊急執行部会を欠席し、18日に山口組本家で渡辺は、舎弟24人、若衆45人と盃直しを行なった。尾崎彰春の実子・尾崎勝彦ら4人が新たに直参になった一方で、竹中武、矢嶋長次(二代目森川組組長)・牛尾洋二牛尾組組長)・森田唯友紀森唯組組長)が欠席する。
27日に渡辺は新執行部を発足させ、新設の最高顧問に中西一男、英五郎(英組組長)・倉本広文倉本組組長)・前田和男黒誠会会長)・司忍弘道会会長)・滝澤孝芳菱会総裁)をそれぞれ若頭補佐に据えた。舎弟頭には益田啓助益田(啓)組組長)を据え、石田章六章友会会長)・大石誉夫大石組組長)・西脇和美西脇組組長)を舎弟頭補佐に据えた。嘉陽宗輝桂木政夫(後に舎弟頭補佐)、木村茂夫は舎弟となった。岸本才三は舎弟となり山口組総本部長に留任、副本部長には野上哲男がなった。益田佳於小西音松伊豆健児は、顧問に就任した。
新人事には宅見の意向が強く反映される格好となり、陣容を整えた後の6月5日の山口組定例会で、竹中武・矢嶋長次・牛尾洋二・森田唯友紀の山口組脱退を発表。25日には「五代目山口組幹部一同」の名前で、他団体に向けて「竹中武、矢嶋長次、森田唯友紀、牛尾洋二は、今後五代目山口組とは何ら関係なし」とする文書を送付した。
但し、先代・竹中正久の位牌の取り扱い〔通常、先代の位牌と仏壇は、当代が管理する。〕と山口組の守り刀の譲り渡し〔守り刀は文化庁に登録されていたため、新たに渡辺芳則の名前で登録しなければ銃砲刀剣類所持等取締法第14条違反となった。〕には手間がかかり、位牌と仏壇については6月4日に岸本・西脇と神戸市の佐藤組佐藤邦彦組長が竹中武の許を訪ね、懇請の上で竹中武は竹中正久の位牌と仏壇を受け取っている。また守り刀については、6月25日に中西最高顧問と倉本・前田の両若頭補佐それに石田舎弟頭補佐が竹中組を訪問し、当座として山口組代紋の山菱が施された純金製三つ重ねの金杯を渡辺に送り、抗争勃発後の7月5日に守り刀相続の書類が整ったことから、竹中武の使いが守り刀を二代目山健組桑田兼吉組長に届けている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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