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山脇東洋[やまわき とうよう]
山脇 東洋(やまわき とうよう、宝永2年12月18日(1706年2月1日)- 宝暦12年8月8日(1762年9月25日))は、江戸時代の医学者。実験医学先駆者の一人。東洋は後の号で、はじめは移山。名は尚徳、字は玄飛、子飛。子に山脇東門、門下に永富独嘯庵らがいる。 == 略歴 == 丹波国亀山に生まれる。医家清水家の生まれで、享保11年(1726年)に父が門下の法眼山脇家の養子となる。1729年には家督を相続して法眼となる。後藤艮山から、理論よりも実践を重視する古医方を学び、延享3年(1746年)には唐代の医学書『外台秘要方』を復刻。 カワウソの解剖から陰陽五行説に基づく人体の内景に疑問を抱き、宝暦4年(1754年)閏2月、京都所司代の許可を得て死刑囚の腑分けに立会い、観察記録を行う。宝暦9年(1759年)にはその成果を解剖図録『蔵志』として刊行。漢方医による五臓六腑説など、身体機能認識の誤謬を指摘した。 吉益東洞ら古医方においても人体解剖には抵抗が強かったため批判を浴びるが、国内初の人体解剖は蘭書の正確性を証明し、医学界に大きな影響を与える。東洋の影響を受け、江戸では杉田玄白、前野良沢らがより正確性の高いオランダ医学書の翻訳に着手する。日本医学の近代化に大きく貢献した人物である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山脇東洋」の詳細全文を読む
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