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山脇玄[やまわき げん]
山脇 玄(やまわき げん、嘉永2年3月3日(1849年3月26日)- 大正14年(1925年)10月7日)は、日本の法学者、法制官僚、政治家、教育者。法学博士、行政裁判所長官、貴族院議員。 ==経歴== 福井藩藩医・山脇立樹の長男として生まれる。 福井藩医学校・済世館で学び、さらに長崎で蘭学を学んだ。明治3年(1870年)、文部省留学生としてドイツに渡り、ベルリン大学、ライプツィヒ大学、ハイデルベルク大学などで法学等を学んだ。1877年5月に帰国。 1877年8月、司法省御用掛となり民法編纂掛分科詰に配属された。以後、司法権少書記官兼太政官権少書記官、太政官権少書記官、参事院議官補・法制部、法制局参事官、兼行政裁判所評定官、法制局第一部長、行政裁判所評定官、同裁判所部長などを歴任。1906年1月、行政裁判所長官に就任し、1913年6月まで在任した。 1891年12月22日、貴族院勅選議員に任じられ〔『官報』第2546号、明治24年12月23日。〕、同成会に属し死去するまで在任。また、1903年、山脇女子実修学校を創立し、妻の山脇房子が校長となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山脇玄」の詳細全文を読む
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