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山藤章二 : ウィキペディア日本語版
山藤章二[やまふじ しょうじ]

山藤 章二(やまふじ しょうじ、1937年昭和12年)2月20日 - )は、東京市目黒区出身の似顔絵作家、風刺漫画家イラストレーター、笑芸プロデューサー。タレントや話題の人物を現代の世相に合致させた作風が特徴とされる。
==略歴==

*1937年東京府東京市(※ 現在は東京都特別区区域)目黒区生まれ。四人兄弟の二男。父は目黒駅助役をしていたが、生後4ヶ月で父を亡くし、貧しい母子家庭で苦労して育つ〔木村隆『この母ありて』 青蛙房 2010年 233-235頁〕。母は目黒駅の売店(現キヨスク)で23年間働いた〔。戦争中の1943年、親類のいた三重県伊勢市疎開したが地元の子供たちからいじめを受ける。戦後に東京目黒へ戻る。三木鶏郎に傾倒し、冗談工房への参加を夢見る。立正中学校・高等学校に進み、高校で美術部に入部。美術部時代の親友に多田ヒロシがいる〔山藤章二『自分史ときどき昭和史』p.41〕。
*1956年1957年東京芸術大学図案科の入試に2年連続で失敗〔山藤章二『自分史ときどき昭和史』p.59〕。家が貧しかったため、親戚から借金して武蔵野美術学校デザイン科に入学。芸大への思いを断ち切れず、武蔵野美大に籍を置きながら画塾に通ってデッサンの練習を重ねるも、計3度にわたる失敗で芸大入学を断念。しかし、このときデッサンを猛勉強したことが、後々になっても山藤の確かな技術を支えることとなった。
*1957年、武蔵野美大在学中に日本宣伝美術会展で特選を受賞する。
*1960年に大阪国際フェスティバルで海外向けポスター・コンテストで特賞を受賞し、(株)ナショナル宣伝研究所にデザイナーとして入社後、広告電通賞(ポスター部門)制作者賞受賞。
*翌年1961年には広告電通賞(ダイレクトメール部門)製作者賞、毎日商業デザイン賞(新聞部門)をそれぞれ受賞。この間、同年1月1日に5歳上の木村米子(コント作家、DJ構成者)と結婚〔山藤章二『自分史ときどき昭和史』p.102, 108, 130〕。1963年東京アートディレクターズクラブ賞(新聞部門)銅賞を受賞し、翌年からナショナル宣伝研究所を退職してフリーとなる。この間、1963年に長女が誕生〔山藤章二『自分史ときどき昭和史』p.110〕。「名前をアピールするんなら、誰か有名な作家のさし絵を描かせて貰うのが一番手っとり早い」との妻の提案で松本清張のもとにイラストを持参〔山藤章二『自分史ときどき昭和史』p.141-142〕。すぐに気に入られ、清張の新連載で挿絵を担当することとなる〔山藤章二『自分史ときどき昭和史』p.144〕。これを機に方々から仕事の注文が入るようになり、1970年講談社出版文化賞(第1回)さしえ賞受賞。1971年文藝春秋漫画賞受賞。
*1971年から「世相あぶり出し」などのイラストによる世相風刺で話題を集め、1976年から「山藤章二のブラック=アングル」(後に「山藤章二のブラック・アングル」)を『週刊朝日』(朝日新聞社朝日新聞出版)に連載、「週刊朝日を最終ページから開かせる男」の異名をとる。また1981年から『週刊朝日』誌上で「山藤章二の似顔絵塾」を開講。塾生にはプロのイラストレーターに育った人も多い。1983年菊池寛賞を受賞。この間、1975年に胃潰瘍で倒れ、胃の3分の2を切除〔山藤章二『自分史ときどき昭和史』p.180〕。
*イラストに掲載されるサインはデビュー以来「YAMAFuji'00」の形を用いていたが、1993年から「山」を草書体ふうにデザインしたサインを用い始めた。1996年から縦書きの「章二」の印章を用いるようになった。
*2002年の日米首脳会談で山藤の描いた「流鏑馬」のイラストが、小泉総理によって米ブッシュ大統領に手渡されている。
*2004年紫綬褒章受章。
多数の受賞がある。「現代の戯れ絵師」を自認している。
幼少時から寄席通いをして落語に親しんでいたこともあり、笑芸人に対する造詣が深く、笑いについての対談集の刊行や、笑芸のプロデュースを行っている。近年は、1995年より年1回、紀伊国屋ホールにて「寄席山藤亭」という名称で、年に1回、山藤のプロデュースによる笑芸人の公演を行っており、立川談志イッセー尾形の独演会などを企画している。
阪神タイガースファンとしても有名。「ブラックアングル」にも阪神絡みのイラストは多い。
朝日新聞の似顔絵イラストも担当しており(1974年から現在まで)、1996年にはこれらを集めた『山藤章二の顔辞典』(朝日文庫)が発売された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山藤章二」の詳細全文を読む



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