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山角 康定(やまかく やすさだ、? - 天正18年(1590年))は戦国時代・安土桃山時代の武将。後北条氏家臣で、北条氏康から偏諱を受け、北条氏政の側近であった。初め四郎左衛門尉、後に上野守、上野介と称す〔。山角定吉の嫡男、弟に山角定次(山角定勝の父)。子に山角直繁、大藤秀信室〔。 『北条氏所領役帳』には御馬廻衆として200貫文余の知行高が記されている。虎朱印状の奉者を務め、評定衆としても活躍した〔。現存している裁許朱印状には康定が関与した物が多数残っており、彼の評定衆としての活躍が窺い知れる。また、検使や伊豆国代官を務め、上杉謙信との越相同盟交渉にも関わっている〔。他にも小田原城の御馬廻衆の統括者であり、300騎の侍大将であった〔。 天正18年(1590年)小田原征伐では小田原城に籠城し、開城後まもなく死去している。 == 脚注 == == 参考文献 == * 『戦国の魁早雲と北条一族―北条五代百年の興亡の軌跡』新人物往来社、2005年、ISBN 4404033168 * 『歴史群像シリーズ14 真説戦国北条五代 早雲と一族、百年の興亡』(1989年、学習研究社) ISBN 405105151X 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山角康定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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