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山路正国[やまじ まさくに]
山路 正国(やまじ まさくに、天文15年(1546年) - 天正11年4月21日(1583年6月11日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。柴田勝家の家臣。通称に将監。実弟に長尾一勝がいる。 == 生涯 == 天文15年(1546年)、神戸具盛の家臣・山路正幽の子として生まれる。 織田信長の重臣である柴田勝家に仕え、信長死後の清洲会議で近江長浜城主となった勝家の養子・柴田勝豊の家老として仕えた。 天正10年(1582年)12月、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の攻撃を受けて、勝豊と共に降伏した。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは、病気のために出陣できない勝豊に代わって軍を率いて羽柴方として参戦したが、4月13日に佐久間盛政の調略を受けて柴田方に寝返った。その後、盛政の部隊の一員として共に羽柴軍に奇襲をかけて一時は成功したものの、4月21日に秀吉の反撃を受けて佐久間軍は壊滅し、正国は秀吉の家臣・加藤清正に討ち取られた。享年38。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山路正国」の詳細全文を読む
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